アニメに学ぶ私の愚かさ。信じるとは。
コタローは1人暮らしはご存知だろうか?
こういうことを言うと怒るだろうが、設定がおかしいとは思うし、絵柄があまり好きではなく今まで見ていなかったアニメでした。いわば食わず嫌いですね。
見ようと思ったきっかけは気にはなっていたこと。妻といつも一緒に見ていた時間が無くなり暇であるのと、見たいものを見つくした感があったからだと思う。
まだ全話見終わっていないので感想を言うのが早いかもしれないが、まさに今私に必要な話だと思ったので、紹介したいと思う。
ネタばれになるので、ここから↓はネタバレしても良い方で。
コタローと佑(タスク)の話があるのですが、とても私に刺さりました。(他の話も名言みたいで参考になります。)
佑がコタローに嘘をついてお金を騙し取るのを隣人と弁護士さんはそれに勘付き、コタローにそのニュアンスを伝えようとするお話です。
大丈夫である。わらわは佑殿を信じている。何も問題はないぞよ。
(さらに言うとすればわらはわは...)
と返答。この時点でかっこいいセリフですよね。
ただ実は言われる前から、コタローは佑が最初から嘘をついているのを知っていたのでした。(佑が嘘をつくときの癖を知っていたからですね。)
佑はそれを指摘され反論するも、コタローは
佑殿が嘘をついてもわらわは別に良いのである、といつものお金ぞと渡そうとするのでした。
驚いてなぜかを問う。コタローは今も昔も答えが変わらず、
わらわは佑殿だから信じるのである、佑殿にならわらわは裏切られても良い、例え裏切られてもわらわはお主を信じるのである、いや信じたいぞよ
なんでそこまで、、、
一緒に住もうと言ってくれたから。でもそれは嘘でというと
嘘であっても良いのである
佑は人を信じようとしていたが何度も裏切られ、裏切る側になったと話す。すると
信じたいものを信じられなくなるのは辛いであるからな
と。あとはアニメや漫画で見てください。
コタローは4歳児であるにもかかわらず、私なんかよりよっぽど達観してますね。
私は最愛である妻に対してですら、ここまで信じることができていただろうか、いやできていなかった。
風俗をしてようがそんな妻も許すし、愛そうとは思っていますが、私はここまでの境地に至っていませんでした。
ただでさえ精神的に壊れそうな状態でブロックされているのは正直辛いししんどい。
でもコタローなら今の私の状態でも
例え裏切られてもわらわはお主を信じるのである、いや信じたいぞよ
信じたいものを信じられなくなるのは辛いであるからな
と言うのであろう。
コタローと佑の熱い友情よりも私の愛情は劣っていたのです。
世間一般的にも、家族を捨ててまで風俗していることは許されない。
それでも、ここまで愛せていなかった私が悪かったと反省する名言でした。
そして見返りがなくても愛を尽くし、いつか惚れ直してもらい、元の生活に戻ることを夢を見ながら、会える1日を大切にしたいと思う私でした。
今日はここまで。
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